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東京高等裁判所 平成3年(ネ)4214号 判決

主文

一  原判決中次の第二ないし第四項の請求を棄却した部分を取り消す。

二  被控訴人有限会社アールエーは控訴人株式会社塚本ゴムに対し、

1  原判決別紙物件目録(一)記載の各土地建物に対する、同登記目録一記載の登記の抹消登記手続をせよ。

2  原判決別紙物件目録(二)記載の建物に対する、同登記目録二記載の登記の抹消登記手続をせよ。

三  被控訴人有限会社アールエーは控訴人大塚晴江に対し、原判決別紙物件目録(二)記載の建物に対する同登記目録三記載の登記の抹消登記手続をせよ。

四  被控訴人らは各自控訴人株式会社塚本ゴムに対し、原判決別紙物件目録(一)の三及び同物件目録(二)記載の各建物を明け渡し、かつ平成元年五月三日から右明渡済みに至るまで月金三〇万円の割合による金員を支払え。

五  その余の本件各控訴を棄却する。

六  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その四を被控訴人らの、その余を控訴人らの各負担とする。

七  この判決の第四項は仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者が求めた裁判

一  控訴の趣旨

1 原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。

2 被控訴人有限会社アールエーは控訴人株式会社塚本ゴムに対し、

(一) 原判決別紙物件目録(一)記載の土地建物に対する、同登記目録一記載の登記の、

(二) 原判決別紙物件目録(二)記載の建物に対する、同登記目録二記載の登記の、各抹消登記手続をせよ。

3 被控訴人有限会社アールエーは控訴人大塚晴江に対し、原判決別紙物件目録(二)記載の建物に対する同登記目録三記載の登記の抹消登記手続をせよ。

4 被控訴人らは連帯して控訴人株式会社塚本ゴムに対し、各自金一〇八七万九〇〇〇円及びこれに対する平成元年五月三日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

5 被控訴人らは各自控訴人株式会社塚本ゴムに対し、原判決別紙物件目録(一)の三及び同物件目録(二)記載の各建物から退去して同建物を明渡し、かつ昭和六三年一二月一日から右明渡済みに至るまで月金一〇〇万円の割合による金員を支払え。

6 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

7 仮執行宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

控訴棄却

第二  事案の概要

本件控訴にかかる控訴人らの請求は、所有権に基づく登記の抹消請求(控訴の趣旨2、3)、所有権に基づく建物明渡と不法占拠に基づく損害金の支払請求(控訴の趣旨5)及び不法行為に基づく損害賠償請求(控訴の趣旨4)である(なお、原審において、控訴人株式会社塚本ゴムは被控訴人岩瀬義明に対して所有権に基づく抵当権設定登記の抹消及び債務不存在確認も求め、この各請求については控訴人の請求が認容され(原判決主文第一、二項)、この部分については被控訴人岩瀬義明から不服の申立てがないので、その当否については判断しない。)。

一  争いない事実(登記抹消請求及び明渡請求等(控訴の趣旨2、3、5)の請求原因事実)

1 原判決別紙物件目録(一)記載の土地建物は、昭和六三年一一月当時、控訴人株式会社塚本ゴム(以下「控訴会社」という。)の所有、同物件目録(二)記載の建物は控訴会社(持分一〇分の九)及び控訴人大塚晴江(持分一〇分の一)の共有であった。

2 原判決別紙物件目録(一)(二)記載の土地建物(以下これらの土地建物を「本件土地建物」という。)には、被控訴人有限会社アールエー(以下「被控訴会社」という。)のため原判決別紙登記目録一ないし三記載の各登記がある。

3 被控訴人らは、昭和六三年一二月一日以降、原判決別紙物件目録(一)の三及び同物件目録(二)記載の各建物を占有している。

二  争点

1 控訴会社は、ほかに損害賠償請求(控訴の趣旨4)の請求原因として、次のとおり被控訴人らの不法行為を主張する。

被控訴会社及びその代表取締役である被控訴人岩瀬義明(以下「被控訴人岩瀬」という。)は、共同して、控訴会社の資産、営業権等を領得しようと企て、昭和六三年一月東洋ゴム工業所こと田谷隆(以下「田谷」という。)の倒産により、控訴会社に対しても債権者からの追及があることを懸念していた控訴会社代表取締役大塚晴江及びその夫である大塚昇(以下「昇」という。)に対して、そのような事実もないのに、「債権者が取り立てに来ると商売ができなくなる」などと話し、債権者からの追及を免れる手段であると称して、被控訴人岩瀬を債権者とする公正証書を多数作成し、本件土地建物に抵当権を設定させたりしたうえ、その所有名義を被控訴会社にしたばかりでなく、控訴会社の預金及びその預金口座に振り込まれる売掛金を領得し、さらに被控訴会社を設立して、控訴会社の営業をそっくり引き継いだ形にして、控訴会社を不法に乗っ取ってその土地建物で営業を継続した。これによって、控訴会社は次の損害を受けた。

(一) 不法に領得した売掛金 一三三五万五三七四円。その内訳は次のとおり。

伸光ゴム関係

昭和六三年一〇月分 五八九万八六二五円

同年一一月分 五七一万〇一一六円

大東商会関係

同年一〇月分 一七四万六六三三円(同年一一月二四日約束手形を京浜ゴムで割引して入金)

(二) 同在庫品の販売代金 六六八万八七一四円(昭和六三年一一月当時)。その内訳は次のとおり。

完成品 二六九万〇五一七円

未完成品 一六〇万三三七七円

在庫原料 二三九万四八二〇円

この金額から、被控訴会社が控訴会社の債務を支払ったものと認める金額を差し引いた残額の内金として、控訴の趣旨4の一〇八七万九〇〇〇円及びこれに対する平成元年五月三日(訴状送達の翌日)以降年五分の遅延損害金の支払を求める。

2(一) 被控訴会社は、控訴会社の不法行為に基づく請求についての主張事実をすべて否認するとともに、登記抹消請求及び明渡等の請求に対する抗弁として、次のとおり控訴人らの本件土地建物の所有権の喪失原因を主張する。

控訴人らは、昭和六三年一二月一日、被控訴会社に対し、本件土地建物を代金二八九〇万円で売り渡し、その所有権を喪失した。

(二) 控訴人らは、右売買契約の事実を否認し、控訴人らは被控訴人岩瀬ないし被控訴会社に対して控訴会社の営業を委託したにすぎないとしたうえ、次のとおり(1)通謀虚偽表示と(2)詐欺による取消を主張する。

控訴人らが被控訴会社主張のとおり本件土地建物を売り渡す契約をしたと認められたとしても、それは、

(1) 真実は売買により所有権を移転する意思がないのに、控訴会社が債権者からの追及を免れるために、被控訴会社との間で通謀のうえ、虚偽の意思表示をしたものである。

(2) 控訴会社は他の債権者から差押えを受けるような事態ではなかったのに、被控訴人岩瀬が「差押えをされて、仕事ができなくなってもいいのか、俺を信じろ」などと嘘を言って控訴人会社代表者である大塚晴江を騙し、控訴人らは控訴会社が他の債権者の追及を受けて仕事ができなくなると誤信した結果売り渡す契約をしたものである。

控訴人らは被控訴会社に対し、平成四年五月一八日の本件口頭弁論期日において、これを取り消す旨の意思表示をした。

(三) 被控訴人らは右の事実を否認する。

3(一) 被控訴人らは、仮定的抗弁として、次のとおり主張する。

昭和六三年一一月初旬ころ、控訴会社代表者大塚晴江と被控訴人岩瀬との間で、被控訴人岩瀬に控訴会社の経営を委譲し、被控訴会社を設立して控訴会社の業務一切を被控訴会社に移す旨の合意をし(本件土地建物の売買もそのうちに含まれるものである。)、この合意に基づいて控訴会社は本件土地建物を始め機械類等一切の設備及び在庫品を被控訴人らに引き渡した。したがって被控訴人らは本件土地建物を占有使用する権原がある(なお、控訴人らの主張する業務委託契約の事実は否認し、占有権原としても援用しない)。

(二) 控訴人らは、右の経営委譲の合意があったことを否認し、次のとおり主張する。

すでに述べたように、昭和六三年一一月頃控訴人らは被控訴人岩瀬との間で、近く設立される予定の被控訴会社に控訴会社の営業を委託する旨の合意をしたにすぎない。そして、控訴会社は、本件訴えにより本件土地建物の明け渡しを求めており、これは業務の委託を解除する旨の意思表示を含むものであるから、右の合意による契約は本件訴状が被控訴会社に送達された平成元年五月二日をもって解除されたものというべきである。

4 被控訴会社は、さらに仮定的抗弁として、次のとおり留置権を有することを主張し控訴人らはこれを争う。

被控訴会社は、前記経営委譲の合意に基づいて、別紙「支払一覧表」に記載のとおり控訴会社の債務を支払った。右支払は被控訴会社が前記経営委譲の合意に基づき、又は仮に経営委譲の合意によるものでなくても、控訴会社のために支出したものであるから、被控訴会社は控訴会社に対し右支払額につき経営委譲の合意又は事務管理に基づく費用償還請求権を有するので、被控訴会社はこれによる留置権に基づいて、右費用の支払いがあるまで、本件土地建物の引渡を拒絶する。

三  《証拠の関係略》

第三  争点に対する判断

一  前記争いのない事実と《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。

1 控訴会社は、昇が昭和四八年頃から自動車用部品であるゴム製品(パッキング等)の製造・販売業を個人で営んできたものを、昭和五六年一二月に株式会社組織としたものであって、当初は昇が代表取締役になっていたが、取引先の東洋ゴム工業所が倒産した後の昭和六三年二月に控訴人大塚晴江(以下「控訴人晴江」という。)が代表取締役に就任した。当時の従業員は約二〇人の小企業である。

2 控訴会社は、昭和六一年頃から取引先である東洋ゴム工業所(経営者は田谷)との間で互いに融通手形を交換し、田谷の保証人にもなっていた関係で、同人が倒産すると控訴会社も連鎖倒産が心配されるという間柄であったところ、昭和六二年頃同人の経営状態の悪いことがわかり、控訴人晴江及び夫の昇はその対応に苦慮していたが、昭和六三年一月に田谷が倒産した。

3 そこで、控訴人晴江らは、昭和六三年一月上旬頃、昇の兄大塚文雄の知人である被控訴人岩瀬に善後策を相談したところ、債権者から控訴会社の工場や機械類を差し押さえられると、営業ができなくなるといわれ、被控訴人岩瀬の発案で、債権者の追及をかわすため、被控訴人岩瀬が控訴会社に債権を有していることにし、控訴会社の営業用動産を譲渡担保にとったという形にすることになり、昭和六三年八月二五日付けの譲渡担保設定債務弁済契約公正証書を作成するとともに、その後被控訴人岩瀬が控訴会社に対し一一六〇万円の債権とこれを被担保債権とする抵当権を有するかのように仮装することとして、同年八月三〇日設定を原因として一一月二日にその旨の登記の手続をした(控訴会社の請求のうち原審で認容された債務不存在確認と抵当権の抹消登記請求は、右の事実にかかるものである。)。

4 さらに、控訴会社代表者晴江と被控訴人岩瀬は、昭和六三年一〇月末頃に、控訴会社の経営の建て直しを図るための措置として、次のとおり合意した。

(一) 新会社として被控訴会社を設立して(同年一一月二八日設立登記)、控訴会社の営業を引き継ぎ、被控訴人岩瀬がその経営に当たる。

(二) 控訴会社のゴム事業の取引上の債務、本件土地建物に登記簿上付されている抵当債務、リース代金等の借入金の返済は、被控訴会社が引き受ける(履行の引受と解される。)。

(三) 本件土地建物及び機械類は、債権者からの差押えを免れるため、控訴会社から被控訴会社が買い受けたことにして、登記名義を移転する。

5 右の合意に従い、昭和六三年一一月一日から、被控訴人岩瀬は、本件土地建物及びここに設置されている機械設備や在庫品(完成品、仕掛品や仕入れ済みの原料等)の引渡を受け、控訴会社の売掛金等の債権も取得する(現にその支払も受けている)ほか、控訴会社の従業員もそのまま引き受ける形で、事実上控訴会社の営業をそっくり引き継ぎ、同年一一月二八日には被控訴会社の設立登記も完了して被控訴会社が営業を始め、平成元年一月六日には司法書士事務所に控訴会社代表者晴江も出向いて本件土地建物につき売買を原因とする所有権移転登記を申請するのに必要な手続を済ませ、同月一〇日受付で、昭和六三年一一月一日売買を原因として本件土地建物につき被控訴会社への所有権移転登記がなされた。

これに伴い、控訴人晴江と昇は、本件土地建物を被控訴人らに引き渡して、田谷方に移り住み、被控訴会社の従業員になって、二人で月額五〇万円(昇三五万円、晴江一五万円)の給料の支給を受けることになった。

ところが、被控訴人らが引き受ける債務の範囲について双方の意見が合致せず、控訴人らとしては被控訴人岩瀬に控訴会社を乗っ取られたと考えるようになり、被控訴人岩瀬との間が険悪になって、控訴人晴江らは被控訴会社に出社しなくなり、被控訴会社も控訴人晴江らに給料を支払わなくなってしまった。

二  右に認定した事実によれば、昭和六三年一一月一日、控訴人らと被控訴会社との間で、本件土地建物について、売買契約が締結されたことは認められるが、右の売買契約は、控訴会社が債権者からの追及を免れるために、控訴人らと被控訴会社との間で通謀してなされた、虚偽の意思表示であると認められる。

控訴人らは右売買の成立を争い、控訴人晴江(原審及び当審)及び証人昇(原審)もその旨供述するが、昇や控訴人晴江が債権者の追及を恐れて被控訴人岩瀬に相談に行ったことや、控訴人らが任意に右の各登記手続に応じたことは同控訴人自身も、原審証人昇も認めているところであること、並びに右登記の記載に照らして、売買の成立自体を否定する同控訴人らの供述は採用しがたく、他に右の認定を動かすに足りる証拠はない。

また、被控訴人らは、右売買が通謀虚偽表示であることを争い、右売買は真実所有権を移転する意思で締結されたものであると主張し、被控訴人岩瀬(原審及び当審)はその旨供述している。しかし、本件売買契約の代金であるという二八九〇万円が現実には支払われていないことは、同人自身も認めるところである。被控訴人らは、控訴人らの債務のうち控訴人晴江の個人債務を除いて、本件土地建物に付されていた抵当権付き債務及び商取引上の債務を従来通りの方法で被控訴会社が支払い、右代金に充当する約束であったと主張し、被控訴人岩瀬(原審及び当審)もその旨供述する(被控訴人岩瀬は、控訴会社や昇個人の債務を七二〇万円立替えて支払い、控訴会社の千葉県信用保証協会に対する約六〇〇万円、伸光ゴム工業株式会社に対する約一二〇〇万円、加藤産商株式会社に対する約二八〇万円の各債務のほか、昇個人の住宅金融公庫に対する債務や控訴人晴江個人の年金福祉事業団に対する八〇〇万円の債務を引き受けたという。)が、その債務の具体的な内容も明確でないばかりか、そのような約束があったことの裏付けとなる契約書等の客観的な証拠も提出されておらず、また、その支払い状況や充当関係も明瞭ではない(具体的な借入先や金額の詳細が明示されていなかったことは被控訴人ら自身も認めている)。さらに、被控訴会社ないし被控訴人岩瀬が支払ったという債務の中には被控訴会社が事業を引き継いだ後に発生し、したがって元来被控訴会社が負担して当然と考えられる債務も含まれているし、控訴会社の営業当時に発生した債務を支払った部分についても、被控訴会社は控訴会社の売掛金等すでに控訴会社のもとで生じた債権も引き継いでその支払いを得ているほか、引き継ぎ当時控訴会社に残されていた仕掛品や在庫の原料もそのまま利用して操業し、売上金収入を得ているのであるから、被控訴人らのいう債務の引受けが本件土地建物の売買代金の支払に代わるものとは認めがたい。これらの事情のほか、本件土地建物のような重要な資産の譲渡にもかかわらず、その価格がいくらと評価されたのか(つまり被控訴人らのいう引受金額とバランスのとれたものかどうか)も明確でないうえ、売買契約書も作成されていないこと、本件においては前記のとおり他の債権者からの追及を免れるため、控訴人らと被控訴人らとの間で債権債務や担保権の設定を仮装していること等の事情に照らして考えると、本件売買契約が真実所有権の移転を目的としてなされたものであるとは認めることができない。同被控訴人の供述をもって右通謀虚偽表示の認定を覆すには足りず、他にこの認定を左右する証拠はない。

三  控訴会社は、被控訴人らは控訴会社の乗っ取りを企図したと主張し、控訴人晴江(原審及び当審)もその旨供述する。控訴会社が主張する不法行為が具体的に被控訴人岩瀬のどの時点のどの行為を捉えて不法行為であるとするのかは必ずしも明瞭ではないが、少なくとも被控訴人らが前記のとおりの事情のもとで控訴人らとの合意に基づいて、本件土地建物の占有を開始し、控訴会社の営業を引き継いだことが認められることに照らして、控訴人らが主張するような控訴会社の乗っ取りを企図したという事実まで認めることは困難である。被控訴人岩瀬が控訴会社の事業を引継ぎ被控訴会社が設立されて昇と控訴人晴江とが被控訴会社の従業員として働くようになった後に、被控訴人岩瀬と昇及び控訴人晴江の意見が対立し、喧嘩別れのような形で昇と控訴人晴江が被控訴会社をやめてしまったという経緯からいって、控訴人らが被控訴人岩瀬に控訴会社を乗っ取られたと思うに到った気持ちは理解できないではない。しかし、控訴会社は田谷との間で融通手形を交換するような状況であり、田谷の倒産によって経営の先行きが懸念される事態になっていたのであるから、それまでの実績や得意先があったにせよ、被控訴人岩瀬にしても確たる収益の見通しもないままに(場合によっては損失を出すかもしれない)あえて危険を犯してまで乗っ取りを図るほどの魅力のある企業であったかどうかは疑問であって、双方の意見の対立から昇や控訴人晴江が被控訴会社を去った後に被控訴人岩瀬が被控訴会社の事業を独占して継続したという結果から被控訴人岩瀬の不法行為を推認するのも無理である。被控訴人岩瀬ないし被控訴会社が控訴会社の在庫の完成品を売却し、仕掛品等を使ったのも、被控訴会社が前記の事情のもとで合意に基づき控訴会社の事業を引き継いだものであると認められる以上、不法行為になるということはできないし、控訴会社の債権の取り立ても同様である。控訴会社の不法行為に基づく損害賠償の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  被控訴人らが本件土地建物を占有していることは争いがないところ、その占有の開始は前認定のとおり控訴人らと被控訴人らとの営業委託の合意に基づくものであると認められるから、これを不法占拠ということはできない。被控訴人らは、控訴人らのいう経営委託の合意を否認するだけでなく、占有権原として援用しないというが、この事実は控訴人らの主張するところであり、証拠上も認められるところであるから(これが本件紛争の実態に近いことはまず間違いないところであろう。)、被控訴人らが援用しなくても判断の基礎とすべきものである。ちなみに、被控訴人らは、売買の有効であることを強調する余り控訴人らの主張する営業委託の合意を否認するが、被控訴人らのいう経営委譲の合意も(売買を含むことを前提とはするものの)、その評価こそ異なれ、つまるところはこの合意と同じ事実を指して経営委譲の合意であると主張しているものとみることができる。

五  右の合意は基本的には委任契約と解されるところ(具体的な法律行為等の個々の事務ではなく、控訴会社のゴム製品の加工の営業に関する一切の事務を委託するものであり、準委任を含む包括的な委任契約とみるのが相当であろう。)、本件の控訴会社の請求は、被控訴人らに対して移転登記の抹消と本件土地建物の明渡しを求めるものであるから、右合意(契約)の解除の意思表示を含むことは明らかであって、控訴会社は本件訴えの提起により右の契約を解除する旨の意思表示をしたものと認めるのが相当であり、右合意(契約)は本件訴状が被控訴会社に送達されたことが記録上明らかな平成元年五月二日をもって解除されたものというべきである(前記認定の合意が委任契約であると認められることからすると、委任者はいつでもこれを解除することができる。この合意が控訴会社の経営の建て直しを図るためになされたことを考慮しても、一定の期間を定めてする委任とはいえないし、控訴会社の経営建て直しにある程度の期間が必要であるとしても、控訴会社ないし控訴人晴江と被控訴会社ないし被控訴人岩瀬との間の信頼関係が失われている以上、委任者である控訴人らからする解除を否定する根拠はないというべきである。)。

六  被控訴会社は留置権を主張する。

しかしながら、被控訴会社の主張する債権は、控訴人らに対して支払を求めることができる債権とは認めがたい。先に認定した合意(控訴人らの主張する営業委託契約)は、被控訴人岩瀬ないし被控訴会社が控訴会社の事業を引き継ぐことによって生ずる利益及び業務遂行上の経費負担がいずれに帰属するかの点についてはその内容が明確でないが、前記認定の事情、ことに被控訴会社は本件土地建物の引渡を受けただけでなく、加工用の機械設備一切のほか控訴会社の在庫品や売掛金等の債権も引き継いで営業を続けるものであったことや、委託に伴う報酬の定めがあったことの証拠が全く見当たらないことからすれば、いずれも控訴会社の業務を引き継いだ被控訴会社に帰属すべきものとされていたと認めるのが相当である。つまり、利益が出れば被控訴会社のものとなる代わりに、事業に必要な経費は被控訴会社の負担であることはもとより、被控訴会社が引き受けたという債務も被控訴会社の負担で支払う意向であったとみるべきである。被控訴人らが引き受けたという債務は控訴会社の事業のための借入金あるいは買掛金等であるから、被控訴会社が控訴会社の営業を引き継いだ以上、被控訴会社の経営上債務として被控訴会社が負担する趣旨であったとみるのが合理的であり、当事者双方の意思に副うと考えられるからである。少なくとも、前記の合意の趣旨からすると、仮に控訴会社に償還義務が認められる場合があるとすれば、被控訴会社が支出した経費及び債務の支払額と被控訴会社の得た収入を清算して被控訴会社の支払額が収入を上回るような場合に限られるというべきである。土地建物や機械設備のほか在庫品、売掛金等の資産もすべて引き継いで営業を委託した結果、被控訴会社が控訴会社の債務等を支払ってもなお利益を挙げているのに、控訴会社等の債務を支払った部分は償還を請求されるというのでは営業を委託した趣旨に矛盾するからである。この理は、営業委託の合意が解除された後の償還請求についても同様である。しかしながら、本件に現れた証拠を検討しても、被控訴会社が負担した経費及び控訴人らのためにしたという支払額が被控訴会社の得た収入の額を上回ると認めることはできない。被控訴人らは、被控訴会社の利益は少なく、赤字基調に推移したと主張し、被控訴会社の決算書類や事業所得の確定申告書の控え等を証拠として提出している。しかし、右の証拠の裏付けとなる被控訴会社の会計帳簿等の基礎資料はなく、他方、被控訴会社が本件訴訟が提起された平成元年から平成五年まで営業を続けてきたことは被控訴人岩瀬の供述によって認めることができることを考慮すると、それまでの間被控訴会社に被控訴人らのいうほどの欠損を生じていたかどうかは疑わしいといわざるを得ない。被控訴会社の営業の実態を明らかにする客観的証拠がない以上(《証拠略》も結果をまとめたというものであって、そのままには信用するわけにはいかない。)、被控訴人らの主張を採用することはできない。いずれにしても、被控訴会社が支出したと主張する金員を控訴会社に償還請求することはできないものというほかない。

なお、以上のことに関連して、一、二の点に触れておく。被控訴会社ないし被控訴人岩瀬が立替え支払ったというオリエントファイナンスに対する支払いのうち七五〇万円余は、実質は控訴会社がリースを受けていた機械のリース料金の繰上支払であったことは窺えるものの、その資金は岩崎美津枝(被控訴人岩瀬の妻)が支出したものであり、かつ昇の保証債務を立替え払いしたものと認められ、岩崎美津枝が権利を証明して別途昇に支払いを求めるのは別として、本件において被控訴会社ないし被控訴人岩瀬が引換えを主張しうる債権とすることはできない。被控訴人らは、その他にも昇夫婦の個人的債務を引き受けて支払ったと主張するが、これまた別訴で権利を証明して請求することはともかく、これをもって控訴人の本件請求との引換給付を求める根拠とすることができないことは明らかである。

七  以上認定説示したとおり、被控訴人らは、前記業務委託契約が解除された平成元年五月二日の翌日以降本件土地建物を占有する権原を失ったことになるから、不法占拠によって控訴人らが被る損害を賠償すべき義務があるが、その損害額が控訴人の主張するような月額一〇〇万円であることを認めるに足りる的確な証拠はない。しかし、本件土地建物の面積並びに本件土地建物はもとは控訴会社、昭和六三年一一月以降は被控訴会社の営業である自動車用ゴム製品の製造工場として利用されてきたものであり、その営業のための製造用機械設備も設置されていて、そのまま営業に使用することができるものであったことを考慮すると、控訴人らが控え目な額であるとして主張する月当たり三〇万円の限度でこれを認容するのが相当である(原判決別紙物件目録(二)記載の建物の控訴会社の共有持分は一〇分の九であるが、損害額の算定につき特にこの点を考慮して減額するほどの事情は認められない。)。控訴人らは営業損害をも主張するが、前記の経緯に照らして見ると、控訴人らがそのまま本件土地建物を使って従前どおり営業を継続していたとしても、はたして控訴人らがいうほどの利益を挙げることができたかどうかは疑問があり、他に右認定の額を超える損害があったことを認めるに足りる証拠はない。

八  以上のとおりであるから、本件控訴にかかる控訴人らの請求中、所有権(ないし共有持分)に基づいて本件土地建物について明渡及び登記の抹消、平成元年五月三日以降の不法占拠に基づき賃料相当の損害金を求める部分は理由があるが、その余の請求は理由がない。したがって、原判決中右の理由ある請求部分を棄却した分については相当でないからこれを取り消し、その余の請求を棄却した分は相当であって、その点に関する本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上谷 清 裁判官 曽我大三郎)

裁判官 小川英明は転任のため署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 上谷 清)

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